とらえ方は人それぞれだが、ビルの屋上で田植えを体験させるということには大いに疑問を感じる。
ビルの屋上で田植えをするのが環境教育だろうか?
最近の子供たちに魚の画を描かせると、魚の切り身が泳ぐ画を描く子供が少なくないという。
ヒルズ田植えを体験した子供たちに田植えというキーワードで画を描かせたら、ビルの屋上ですぽんすぽんと稲の苗を植えている画を描く子供が出てくるに違いない。
「それで良いのか!」と言っておきたい。
米を作る農家の人々は、水を調整し、害虫や鳥などの食害と戦い、気温に気を遣い、風に気を遣い、日照時間に気を遣い、収穫が終わるまで気が休まる暇は無い。
米を作ると言うことは生半可な作業ではないのだ。
もし、田植えという断片だけを切り取って体験させるのだとしたら、絶対にやめるべきだ。
間違っても、「こうやって苗を植えておけばお米ができるんだ」という思考回路を子供たちの意識に植え付けてはならない。
子供たちに米作りを体験させたいのなら、バスをチャーターして農村に出向き、田んぼ一枚を借り切って田植えをさせるべきだし、月に数回手入れに出向き、刈り入れ、はせがけ、脱穀など、白米を手に取るまでの行程をすべて経験させるべきだ。
それくらいのことができないのであれば、中途半端な体験学習などさせない方が子供のためではないだろうか。
お米は苗を植えておけば勝手に実るものではない。
ビルの屋上の田植え風景の画を描いてほしくないのだ。
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